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 特集:小さなオスは、なぜ大きな精子をメスに渡すのか?

小さなオスは、なぜ大きな精子をメスに渡すのか?
~ヤリイカの不思議な繁殖戦術~

 寿司や煮物、イカめしなど、我々の食卓でなじみ深いヤリイカ。このヤリイカが繁殖するときに繰り広げられる恋のバトルがとても興味深い。 ヤリイカはオスとメスでペアを作り、沿岸の浅い岩礁に卵の塊を産みつける。この時、複数のオスが一匹のメスをめぐって争いを繰り広げることが知られている。動物界では、一般的に、大きくて強いオスが争いに勝ち、メスと繁殖して、子孫を残すことができる。ところが、ヤリイカでは、ちょっと事情が異なるようだ。体の小さなオスでも、子孫を残すためのしくみが備わっていることが、東京大学海洋研究所の岩田容子博士らの研究チームによって、明らかになってきた。その驚くべき戦術とは、なんと「小型オス」は「大型オス」よりも、「大きな精子」をメスに渡すことなのだとか。果たして「大きな精子」は「小さな精子」に勝てるのか!?その不思議な繁殖戦術の謎に迫る!

大きなオスはやっぱり強い!?

 毎年、冬、日本の沿岸の岩礁地帯にたくさんのヤリイカが繁殖のために集まってくる。産卵場となる岩の近くでは、メスをめぐるオス同士の争いが始まる。オスは腕の先までピンとのばし、背比べをするように体を見せ合い、大きさを競う。体の色をめまぐるしく変えながら、「俺の方が大きくて立派だぞ。ここは俺に譲れ。」とアピールする。多くの場合、より大きなオスが勝ち、メスに精子が入ったカプセルを渡す「交接」という行動に入る。オスはメスと同じ向きになって泳ぎながら、メスの体を下から支えるように重なり合い、メスの外套膜と呼ばれる胴体内部にそっと腕を差し込み、体の中に自分の精子が入ったカプセルをつける。カプセルはすぐにはじけて中から大量の精子が泳ぎ出す。オスからカプセルを受け取ったメスは、やがて産卵を始める。大きなオスは、他のオスに邪魔されないように、その様子を始終見守る。

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(上)写真1:メスをめぐって戦う二匹のオス(撮影:岩田容子)

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(下)写真2:メスを抱きかかえるオス(撮影:岩田容子)

小さなオスの繁殖戦術「禁断の早技」

オス同士の争いが起こるとき、より大きなオスが有利であることは、容易に想像がつくだろう。しかし、小さなオスも負けてはいない。小さいなりの「戦術」を使うことで、子孫を残そうとしているのだ。ヤリイカのオスは、その体の大きさから「大型」と「小型」の二種類に大別することができる。「小型オス」は、「大型オス」とまともに争っても勝ち目はない。そこで、「大型オス」とは異なる方法で、秘かに繁殖に参加しているのだ。それは、ペアを作る前のメスや大型オスとペアになっているメスのスキをついて交接するという、ちょっとズルがしこい「戦術」なのである。「小型オス」はメスにそっと忍び寄り、一瞬でメスの腕の付け根のあたりに精子の入ったカプセルをつけるのだ。カプセルはすぐに弾けて、中からたくさんの精子が泳ぎ出す。このように小さなオスが大きなオスの目を盗んで繁殖に参加することは、スニーキング行動と呼ばれ、サケやカブトムシの仲間でも知られている。

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図1:ヤリイカの繁殖行動

大型オスはメスとペアになるが、小型オスはさっと割り込む(イラスト:岩田容子)

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(上)写真1:メスをめぐって戦う二匹のオス(撮影:岩田容子)

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(下)写真2:メスを抱きかかえるオス(撮影:岩田容子)

したたかなメスのオス選び

そして驚くのは「小型オス」を受け入れるメス。なんとヤリイカのメスは、腕の付け根にある「小型オス」専用の貯蔵器官に精子を貯めて、保存することができるのだ。これまでの筆者らの研究によって、産卵場に現れるほとんどのヤリイカのメスは「大型オス」とペアを作る前に、すでに「小型オス」から精子を受け取っていることがわかっている。さらに、メスは産卵直前にペアを組んだ「大型オス」だけでなく、それ以外の複数のオスの精子も利用していることが、産卵された卵の遺伝子解析から明らかになっている。メスは複数のオスから精子を受け取り自分の卵と受精させることで、遺伝的に多様な子孫を残しているのである。

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写真3:ヤリイカのメスは体の二か所に精子を貯めておける
赤の矢印が大型オス専用(右下)、青の矢印が小型オス専用(左下)の場所(撮影:岩田容子)

受精には圧倒的に不利!メスの「小型オスの精子」貯蔵場所

「大型オス」がメスの産卵直前に体内に腕を突っ込んで精子のカプセルをつけるのに対し、「小型オス」はメスの腕の付け根付近にカプセルをつけ、そこから放出された精子は体の外に面した貯蔵器官に貯められる。ではここで、メスが卵を産むときに、いつどこで卵と精子が受精するのか考えてみよう。メスの卵巣で作られた未受精卵は、輸卵管を通り抜け、まず体内で「大型オス」の精子に出会ってから体の外に産み出され、続いて「小型オス」の精子と出会うことになる。早い者勝ちの受精競争において、体内で卵といち早く出会える「大型オス」の精子よりも、体外で待ちかまえている「小型オス」の精子は、圧倒的に不利な状況なのだ。では、いったいどうやって「小型オス」の精子は「大型オス」よりも早く卵にたどりつき、受精することができるのだろうか?

新発見!!「小型オス」は「大型オス」よりも大きい精子を渡す!?

今回、研究チームがヤリイカの「大型オス」と「小型オス」の精子の大きさを調べたところ、「小型オス」の精子は「大型オス」の精子よりも1.5倍も大きいことがわかったのだ。普通、同じ種類の動物のオスが作る精子の大きさは、粒ぞろいでほとんど同じ。これまでに、「大型のオスと小型のオスで、精子の数はちがっても、その大きさは変わらない」と言われていた。しかし、同じ種のオスで、体の大きさによって繁殖行動が異なり、しかも精子の大きさも異なるという今回のヤリイカのような例が見つかったのは世界で初めてのことである。研究チームの一人である精子学専門の広橋博士は「種内に異なるサイズの精子が存在する場合、片方は(例えば昆虫の蛾のように)受精能をもたない「兵隊精子」を思い浮かべる。しかしヤリイカの場合、どちらの精子も受精能をもつことから、兵隊精子とは別の理由で精子サイズが進化した証拠だろう」と語る。

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写真4:小型オスは大型オスよりずっと大きい精子を作る

卵をめぐる「大きい精子」と「小さい精子」の競争の謎

では果たして「小型オス」の「大きな精子」は、「大型オス」の「小さな精子」に対して、どのように有利なのだろうか? 研究チームはまず、「小型オス」の精子が大きいのは、「大型オス」に対する出遅れをカバーするよう速く泳ぐためではないかと考えた。しかし、大きな精子と小さな精子の間で泳ぐ速度に違いはみられなかった。次に、「小型オス」同士のメスの貯蔵器官での場所取り競争でより有利になるためではないかと考えた。しかし、メスの精子の貯蔵器官の中に蓄えられている精子と、貯蔵器官に入る前の精子を比べてみたが、大きさに違いがなかった。つまり、大きい精子ほど貯蔵器官の中に入りやすいということも考えられないのだ。では、なぜ「小型オス」の精子は大きいのか?研究チームを率いる岩田博士はこう考えている。 「おそらく、ヤリイカが体内と体外という全く異なる場所に精子を受け渡していることが強く影響していると思います。本来、精子は、卵にたどり着くまでに泳ぐ環境に、最も適した形や大きさをしていると考えられます。体内と体外では、水の流れによって、精子拡散のしやすさ、phや酸素・二酸化炭素の濃度といった物理的・生理的状況が大きく異なるので、それぞれの環境に最も適した形や大きさに進化したのではないかと考え、研究を進めています。ヤリイカの「小型オス」がなぜ大きな精子を持っているのか、この謎を解き明かすことは、人間を含めて、オスとメスが存在する自然界の生きものにおいて、精子がどのように形を進化させてきたのかを解き明かすきっかけにつながると考えています。」

小さな体でも、小さいなりの方法で子孫を残そうとするヤリイカのオス。近い将来、その秘められたミクロの戦術が明らかになり、生物の進化の謎をひも解く、手がかりとなるかも知れない。

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